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Jupiter

この作品で、私は「青春のある形(ミンヨン)」を描いたのだと思う。
幼少期から青春期のはざかい、
鋭い感受性に充ちた時期に捉えた1000  の出来事=1000  のテーマ。
‥‥1000  機の飛行機を同時に飛ばし、着陸させる話だ。
無事、着陸するかどうか、観客席とともに物語を編みたい。

2014.7.31  S.S.


佐々木


1994年、テレビ最後の作品を創った。それ以来、毎日、次回作を創りたいと願った
のだが、チャンスは来なかった。シナリオは頭の中で書き続けた。

★ジャンヌ・モロー Jeanne Moreau

モンテカルロ国際テレビ祭でジャンヌ・モローと審査員をしたときのこと。
「将来、あなたは声がきれいな若い女性を主役にするでしょう。声はきれいでも、発声の良い女性は非常に少ない。その女性が素晴らしい発声の持ち主ならば、エンドタイトルのトップに、この言葉をつけてあげなさい」。
with the voice of その人の名前 (minyoung)。

★ヒロイン Minyoung(ミンヨン)

主役のミンヨンと出会ったのは早稲田大学。ミンヨンのゼミ生仲間が「夢の島少女」の上映をしたときだ。ミンヨン1年生 18 才。場所は大隈講堂につぐ大教室。盛会だった。早稲田には校門がない。町の人も入って来た。上映が終わり、質疑応答に入った。舞台のスクリーンに私のモノクロの写真が映っていた。ミンヨン「写真の佐々木さんのシャツの色はブルーですね?」。「いま着ていらっしゃるシャツもブルーだからです」。声を聞いたとたん、次回作はいつになるか見当つかないが、ミンヨンで行こうと決めた。その後、モーツァルトのピアノ協奏曲のCDをかたっぱしから聴いた。そして 22 番最終楽章をミンヨンのテーマに決めた。

★指揮者 武藤英明氏

数年後、指揮者の武藤英明から呼ばれた。フレンチホルン、 Viola、 Violin、 Cello 奏者が待っていた。私は「ミンヨン 倍音の法則」と命名したシナリオを頭の中で書いたばかりだった。武藤氏は奏者それぞれの肩に手を当てて私に倍音を感じるように仕向けた。実にキモチよかった。私は倍音を手に入れたのだ。
2009 年、「 Jupiter を使って映画を創りたいとおっしゃっていましたね。これをお使い下さい。昭一郎さんにピタリです」。そのCDは武藤さん指揮のチェコフィルの演奏。ドボルザークホールでの録音!世界一の音響!

★四天王

その年の暮れ、岩波ホールのはらだたけひで(原田健秀)に出会い、翌年シグロの山上徹二郎に紹介された。私が長年コンビを組んできた三人のスタッフが加わり、はらだ氏いわく四天王(吉田秀夫、岩崎進、松本哲夫と私)を中心とする映画作りが動き出した。

★撮影 吉田秀夫

吉田秀夫 Cameraman は、撮影助手を必要としない。三脚も機材も彼ひとりで運ぶ彼は毎日、 10 キロ走のジョギングで鍛え上げている。吉田秀夫カメラマンの特徴の一つは、手持ち撮影の際に、フォーカス、絞り、ズーミングを彼ひとりでやってのける驚くべき技術がある。通常は、撮影助手が数人つき、ピントもズーマーも絞り込みも助手の手を借りなければ出来ない、というのが当たり前だ。吉田 Cameraman はひとりでやる。もう一つ、これも世界の誰にも出来ない際立った特徴が吉田 Cameraman にはある。それは彼の鍛え上げた柔軟な膝を駆使しながら、出演者のまわりを、序破急つけての全力疾走で回転撮影する驚くべき業 (ワザ )だ。この技術と腕前を持つ Cameramanは日本にも海外にも彼しかいない。回転撮影には、通常、ベーカムと呼ばれるスプリング入りの蕎麦屋さんの出前一丁に使うものと同じ仕組みの円形の筒が要る。カメラを筒の中に仕込み撮影に臨む。しかし、このベーカムという機材は、平板にしか回転できないという欠陥がある。縦に回転しようものなら一巻の終わり。カメラはひっくり返る。蕎麦なら大火傷だ。その欠陥を知る吉田 Cameraman は、鍛え上げた足腰を柔軟に使いこなし、自由自在に縦横無尽に手持ちカメラを扱う。凄い技術なのだ。この技術は後にも先にも彼にしか出来ない国宝級のものである。葛城哲郎は引退した。小高文男は夭折。中野英世は健在。だが手持ちで回転しながら、ピン送り、ズーミング、絞り込みを左手の指をゆるやかに連動させる撮影技術は彼にしか出来ない格別なものである。

★音響効果兼ミキサー 岩崎進

岩崎進氏とは、ラジオからの長い長い付き合いだ。助手が3人以上つくのが普通だが、岩崎氏も助手を必要とせず、一人でこなした。自宅の機材での素材つくりやミクシンの下案。格安にしてもらった貸しスタジオを転々として、最終的な仕上げは多摩川の「にっかつ」一日だけだった。一人でそれをこなす音響効果兼ミキサーも日本には岩崎氏しかいない。

★編集 松本哲夫

松本哲夫氏とは「夢の島少女」以来の付き合いだ。私の作品は以後全て彼の編集だ。今回、彼のために数行の編集台本を書いた。「これは、渋谷のスクランブル交差点、またはパリ凱旋門から放射状にのびる道を行く人たちの、多層的環境のトポグラフィカルな回路に広がる物語である」と。彼は抽象的な一言で編集できる。稀に見る才能だ。監督は安易に編集に手を染めてはならぬという見本。事実、監督は本来編集などできっこないのだから。
そしてプロデューサーに配役権とシナリオ権を渡したら最後だ。何人も腕組みする委員たちが会議室に集まり配役に口をだす。シナリオに口をだす。監督なんか無用な長物となる。山上、はらだのコンビは、テレビ時代の遠藤利男、各務孝、小林猛、榎本一生、和田智允、山本壮太、北村充史、同様にシナリオ権と配役権を私から奪うことはなかった。むしろ、自由に任せた。

★撮影

ミンヨンに知らせると、彼女はソウル大学大学院の卒論や就活でまったく時間がなかった。単身ソウルへゆき無理を頼み、ようやく撮影に入ることができた。
2010 年の晩秋から撮影を始めて 2 ヶ月で 98%を撮りきった。毎日朝5時から日没まで、太陽と競争して死に物狂いで撮影した。撮影中にミンヨンの就職が決まった。
最後のロケはクリスマスイブ。ピアニストの佐々木秋子邸でミンヨンと秋子さんを撮影した。ピアノ協奏曲第 22 番のテーマを秋子さんが演奏したとき、テーマからOrchestra 部分に展開するのだが、当然 Orchestra はない。ピアノは左手のみの演奏になった。その瞬間、カメラマンの吉田氏が満面の笑顔で、キモチいい!と言った。左手だけでもモーツァルトはスゴイ!倍音があふれ出ていた。この瞬間は忘れない!
ヒロインのミンヨンと妹のユンヨンは、ロケしては毎週末にソウル東京を往復するハードスケジュールを無事にこなした。付き人はなく全てを二人でこなした。しかし残りの 2%が大変だった。 100 メートル 10 秒の壁を破るのが、いかに至難かを思い知らされた。

★市立船橋高校吹奏楽部 高橋健一顧問

2%を残して行き悩む。その 2%が私にもわからない。翌年 3・ 11 の大震災。まだつかめない。武藤 Jupiter と両輪を成す音楽が必要だった。そんなある日、BSニュースで、吹奏楽の全国コンクールで優勝した市立船橋高校の演奏を見た。 10 秒ほどのニュースだったが、スゴイ演奏だ!シンフォニーが浮かんだ。イチフナを見たとたん、これで行こうと決めた。はらだ企画プロデューサーの粘り強いイチフナ詣でが始まった。

★暗殺についての劇画か漫画考

この映画で、私は暗殺を撮った。桃に毒盛りは古くからの暗殺の常套手段だ。この映画で桃売りが、桃に注射するカットは私の経験にない。ほかは実体験に基づく。人はみな、経験にないものは描けない。汽車の場面は全て私の経験が活かされた。漫画か劇画を馬鹿にする者もいるが、人間観察が足りない。
いつかニュースで見たのだが、二人組のイスラエルの諜報員が真ん丸メガネにふっくらセーターとジャンパー姿で、ドバイあたりの最高級ホテルのフロントを楽々と抜けエレベーターに乗り込み、ある部屋に入り出てくる。帰りのエレベーター内であっという間に紳士姿に。紳士然としてフロントを通る。敵のスパイを暗殺したわけだ。映画の諜報員はやたらにカッコイイが、現実は死に物狂いなわけだ。漫画か劇画にしか見えない。劇画と漫画は映画の嘘を暴く。

★フリージャーナリスト 新田義貴氏

ジブラルタル海峡の遊覧船一等船室で暗殺された日本人ジャーナリストの人物設定も綿密な取材に基づき、フィクションとしての真実を描いた。取材した一人は中東で取材を続けるフリージャーナリスト新田義貴氏。紛争国家だけではなく、暗殺は日常茶飯事に起きている。暗殺の危機感と恐怖は、私は幼少の頃から体験済みだ。今でもいたるところで有り得る。企業スパイを狙う暗殺も有り得る。私は観察医務院の数百人の身元不明者が眠る冷蔵庫を思った。

★論理を隠す

完成を前にして、音響の岩崎氏は私に語った。
「佐々木作品を非論理的と非難する人もいるが間違っています。音楽と音は、シナリオに論理性が無ければ成り立ちません。佐々木さんの凄さは、いかに論理を隠すか、にあります。今回、私は予算の関係で自宅の機材で、編集された本体のサントラを何回もミクシングしました。見れば見るほど、緻密に論理的に組み立てられていることか、佐々木さんの凄さに驚嘆しました。理屈は最低限プロットでしか言わない。シナリオの勉強をする人には格好の教材になるでしょう」。

★ゼロ号試写会にて

去る 7 月 24 日土曜日。出演者&ロケーションに協力してくれた人々&スタッフのためのゼロ号試写会で、私は約 60 人を前に感謝のスピーチを 20 分間述べた。名指し、一人ずつ立って、すぐ座って頂く欧米式紹介方法で。私は清水真一氏がかつて私のために書いてくれた昔のエッセイをポケットに入れ、その中の variety 誌の批評記事を会場に紹介した。吉田 Cameraman の類い稀なる撮影を讃えた variety 誌の批評だ。

★国際派ジャーナリスト 清水真一氏

清水氏はカイロ、 NY 特派員を経て国際渉外部長に就いた。氏の仕事は海外版の製作。しかし氏は第一級のジャーナリストだけにじっとしていない。職域の壁を破り、埋もれていた私の作品に着目し、膨大な英文の紹介文書をタイプライターで打ち、海外に紹介し、拙作を販売した。日本の作品が世界の variety 誌の批評の対象になることなど、有り得ないそうだ。「昭ちゃん、大変だよ、これは大変なことなんだよ」清水氏の部下たちが variety のその批評を私に手渡しにきた。
「四季ユートピアノ」が評価され、作品の概略から、作演出者、主演女優・中尾幸世さん。制作・小林猛さん。録音・長谷川忠昭さん。効果・織田晃之祐さん、そして吉田 Cameraman の手腕が個別に特筆評価されている。作品の全体像とキャスト&スタッフの姿が見えてくる。それぞれが的確に評価され感動を覚えずにはいられなかった。吉田氏の描写はこうだ。「全編ほとんど手持ちによる吉田秀夫の撮影は、逃れそうな過去の時間と記憶を見事に捉え、この映画に最大の貢献を果たしている」。吉田 Cameramanが、どのレンズを選択したか。フィルター交換は?どんな体勢で主役を撮影したのか。 variety の批評家はよくわかっている。日本の評論家はこうは書かない。テレビ局も新聞雑誌社も評論文章家を育成しないからだ。
私は資料類を退職時に全て破棄し、賞状類も廃棄した。しかし、 variety だけは保管しておいた。いつか役に立つ!ゼロ号試写会で吉田 Cameraman を讃え、同記事を紹介し、清水氏を紹介した。心地好い拍手がわきおこった。自然倍音だ。
そして若手の録音マン仲田良平氏と助監督黒川幸則氏、二人の才能はこの映画で開花した。彼らにも起立ねがい、会場の 60 人全部を紹介した。


★実生活者感覚の持ち主 ミンヨンさんたち

主役ミンヨンはゼロ号試写会を欠席した。ソウルの勤務先が多忙のため。主役の少年・高原勇大さんも欠席。試験勉強のためだ。若きギタリスト加藤早紀さんは海外。指揮者・武藤英明氏も Praha に仕事で帰ってしまった。旦部辰徳さんには無理を言い、京都から来てもらった。ミンヨンの相手役でミンヨンと同じ早稲田のゼミ生仲間である。現在彼は京都大学院生。実生活意識を役柄に最大限に活かした作品であるから、ミンヨンたちの試写会の欠席を私はむしろ誇らしげに思った。のこのこと俳優さんの顔をして試写会になど出て来ない。立派だ。

★素人と呼ぶなかれ

マイナーな話で漫画か劇画みたいな事だが、これは 40 年前だが実際に起きた話だ。「夢の島少女」を創った年、素人の汚らしい若い男女がただうようよするだけの汚らしい作品だ。こんなものにヘリコプターまで使いとは無駄遣いだ、という評論が大新聞に出た。他社も一斉に素人と非難し私を弾劾しにかかって来た。今ではまるで信じられない差別用語の連発だ。

★隠れた天才

叩きに叩かれた「夢の島少女」のプロデューサー・各務孝氏は試写会に来てくれた。私を死守して援護し続けてくれた師匠だ。「マザー」以来、拙作の全部に遠近法で援護射撃し続けてくれたもう一人の師匠・遠藤利男氏は〆切り原稿のため欠席。私に「四季・ユートピアノ」を撮らせたラジオ以来の親友・小林猛プロデューサーも欠席だった。遠藤利男氏の拙作出演者たちへのホメ言葉「隠れた天才たち」を心の中で噛み締めて、会場の全員に私は感謝を述べた。全員、無償の力を貸してくれた。これぞまさに、隠れた天才たちだ!

★映画監督の仕事とは?

ゼロ号試写会での私の最後の言葉はこうだ。
「今回生まれて初めて映画監督の仕事を成し遂げわけなんですが、映画監督とはどんな仕事か考えてみました。芸術家?いや違う、とんでもない!アルチザン?アーチスト?違う、とんでもない。詩人?作家?違います。とんでもない!詐欺師?違う。詐欺師が聞いたら怒りますよ。映画監督という仕事ですが、やってみて感じたことはですね。確信もって言います。ここで謝罪会見と致します。映画監督とは、迷惑をかける仕事です。申し訳ありませんでした!」
拍手と笑い声が同時にわきあがった。私は頭を下げて階段式の映画美学校試写室を上って一番後部の座席を探した。席がない。暗転となり、映画の冒頭のピアノ=佐々木秋子さんのピアノが場内に鳴った。ドミソシ♭ドレミ。Cの倍音だ。その音程を受けてCの Jupiter が轟いた_